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弦楽四重奏曲 ニ長調は、セザール・フランクが1889年から1890年にかけて作曲した弦楽四重奏曲。 == 概要 == フランクの創作期は3つの時期に分けて考えられる。父の功名心に従うままヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして活動した第1期(1841年-1858年)に、彼は室内楽作品として作品番号の1番と2番を与えられたピアノ三重奏曲を作曲した。この時フランツ・リストは若き作曲家の室内楽曲へ助言を与え、それから約40年後にサント・クロチルド聖堂でフランクのオルガン演奏を耳にした際「どうしてあれらの三重奏曲の作曲者を忘れることなどできようか」と述べたとされる。しかし、専らオルガニストとしての職務をこなした第2期(1858年-1876年)には、室内楽曲に目立った作品は遺されなかった。今日フランクの作品として知られる傑作群は1876年以降の第3期に生み出されている。室内楽の分野にも『ピアノ五重奏曲』、『ヴァイオリンソナタ』そして『弦楽四重奏曲』がこの順に生まれており、それぞれが傑出した作品として知られている。フランクはこの後さらにもう1曲のヴァイオリンソナタの構想を練っていたが、それは彼の死により実現することはなく弦楽四重奏曲が最後の室内楽作品となった。 この作品のスケッチが始められたのは1889年の初頭である。第1楽章がまず作曲されたが、同年10月29日に最終稿として仕上げられるまでに少なくとも3つの版が書かれた。続く第2楽章は対照的に一気に書き進められて同11月9日に完成〔、全曲が書き上げられたのが1890年1月15日である。しかし、フランクの高弟ヴァンサン・ダンディによれば、フランクは既に1870年代から弦楽四重奏曲の構想を温めていたという。この時期にはちょうどフランクも創設メンバーに加わった国民音楽協会が設立され、ジャック・オッフェンバックに代表される舞台音楽全盛のフランスの音楽界に純音楽志向が高まりつつあったことが特筆される〔。いったん仕舞い込まれた弦楽四重奏曲の構想であったが1888年に再び取り上げられ、ダンディが伝えるところによればフランクはピアノの譜面台にベートーヴェンやシューベルトの弦楽四重奏曲の楽譜を掲げ、これらを研究していたようである〔。特に本作はベートーヴェンの後期作品から多くの要素を吸収しているとされるが〔 〕、その影響は表層的ではないため一見してそれと認め得ることはない〔。 この作品はフランクが最晩年にして初めて一般の聴衆から喝采を浴びた楽曲であった。フランクは遅咲きの作曲家として知られるが、聴衆に受け入れられた時期も極めて遅く、現在では名曲としてゆるぎない評価を確立している『交響曲 ニ短調』やピアノ曲『前奏曲、アリアと終曲』などですら、初演時の評価は惨憺たるものであった。しかしながら、フランクは当時のフランスの聴衆の嗜好に迎合することなく、自らの理想とする音楽を忍耐強く追求し続け、傑作『ヴァイオリンソナタ』などを通じて少しずつ専門家以外の聴衆の関心を引く存在となっていく。そしてついに1890年4月19日、サル・プレイエルで行われた国民音楽協会の演奏会でのこの曲の初演において、フランクは万雷の拍手を浴びることになったのである〔。これはフランクが没するわずか7か月前のことであった。 初演を受け持ったのはメッス四重奏団であった。楽譜は1892年に出版され、1906年に一般的だったのはパリのアメル社(Hamelle)による版だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弦楽四重奏曲 (フランク)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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